2007年読書履歴
  2007年読書履歴   ここでは2007年にTissが読んだ書籍の簡易レビューを掲載しています。   (当日の日記を再構成しています)   掲載順は概ね読了日付順となっています。   因みに、仲西敦さんの本以外、全て図書館で借りました。   1円たりともお金は出していません。     ♥ 小説    ♥ 小説以外    ★☆★ 小説 ★☆★   ◆ 乙一『ZOO』(集英社)    ミステリーホラー界で天才と言われている乙一の短編集。    福岡県出身。    17歳でデビューしているのか・・・すげぇな。    ラスト数ページでしっかりしたオチを持ってくるあたりが巧いと思った。    表題作「ZOO」は一番つまらなかった。    特に気に入ったのは「血液を探せ!」と「Seven rooms」。   ◆ 村上春樹『海辺のカフカ 上』(新潮社)    ノーベル章間近と評されている村上春樹。    乙一は知る人ぞ知る天才だが、村上春樹は誰もが知る天才。    アクション描写に定評があると聞いていたが、これは心理描写メイン。    2つの物語がジワジワ接近していくのが面白い。    比喩が圧倒的に上手い。    よくこれだけ独創的な表現を思いつけるものだ。    猫好きは読まない方がいいだろう。   ◆ ウラジーミル・ナブコフ『ロリータ』(新潮社)    途中放棄。    新聞で「名著が半世紀の時を経て名訳と出会った」といった風の宣伝文句を見つけて以来、    密かに気になっていた。    だが、100ページ足らず、    主人公によってロリータと名付けられた少女が登場したあたりで、断念。    主人公をロリコンの一般例と見なすには無理がある、ということはよく分かった。    しかしながら、この作品は批評する価値がある。    またの機会にじっくり読むこととしよう。   ◆ 村上春樹『海辺のカフカ 下』(新潮社)    解決を期待していた謎も示唆レベルで放置。    読み進めるのは楽しかったが、読後感は気持ち悪かった。    単純なようで奥深い作品が作品が私は好きなだが、深過ぎて混乱する作品は苦手だ。    この作品を5割理解するには3度4度と読み直さないと無理そうだが、    そこまで頑張る意欲は、私には無い。   ◆ 三崎亜記『となり町戦争』(集英社)    三崎亜記は新聞の書評記事を読んでから気になっていた作家。    福岡県在住であるため、準郷土資料に指定されていた。    中盤まで日常的非日常が淡々と語られていて退屈だったが、    それゆえに終盤の臨場感溢れる急展開が際立っていた。    何より、小さな伏線もきっちり回収しているのが良かった。    村上春樹とはえらい違いだ。   ◆ 三崎亜記『バスジャック』(集英社)    読書がマイブームになりつつある。    今回はどれだけ続くことやら。    『となり町戦争』同様、新聞の書評で気になっていた。    ただし、こちらは短編集。    うん、三崎亜記は長編より短編の方が向いているな。    無駄なく、すっきり読める感じ。    どの話もユニークな設定が面白かった。   ◆ 伊坂幸太郎『重力ピエロ』(新潮社)    おもしれぇ。    (日記執筆当時の)最新作『終末のフール』は、図書館予約が14件も入っていた。    直木賞の候補に何度も挙がっているらしい。    面白い本は読み進めるうちに加速していくものだが、これはその度合いが半端じゃなかった。    登場人物の雑談がクールでイカす。    傑作。    伊坂幸太郎作品はキャラクターがクロスオーバーしている点も面白い。    今作では『オーデュボンの祈り』で登場すると思われるキャラがゲスト出演していた。   ◆ 綿矢りさ『インストール』(河出書房新社)    途中放棄。    『重力ピエロ』と同時に借りたのは悲運としか言いようがない。    これが若さなのだろうか、とにかく読みにくい。    以前、私は研究室のゼミで「句読点が多過ぎる」と指摘されてブチ切れたことがあるが、    もし過去に戻ることができるならば、彼らに「インストールを読め!」と言ってやりたい。    気持ちが悪くなってしまい、序盤で投げた。    この作品が世間に評価され、映画化までされたことが信じられない。   ◆ 中島らも『君はフィクション』(集英社)    狂っている話がたくさん詰まった短編集。    どれもラストが投げやり。    書くことに飽きたから適当に終わらせたように見える。    まあこういう作家が活躍できるってことは、日本の懐が深いということだろう。   ◆ 村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(講談社)    途中放棄。    もったいつけ過ぎ。    無駄に描写が細かいうえに、レトリックでない比喩を多用しているものだから、    作家のイメージを再現するために、読者は強い想像力を要求される。    つまり、妄想の自由度が極めて低い。    とても疲れる。    数十ページで投げた。    村上春樹作品は肌に合わないようだ。   ◆ 宮部みゆき『R.P.G.』(集英社)    宮部みゆき作品は、過去に数冊読んだことがある。    これは刑事ドラマもの。    犯人の目星はかなり早くについたが、まさか全てワナに嵌めるための演技だったとは・・・。    取調室からほとんど移動することなく、駆け引きだけで物語が展開していくのは新鮮だった。   ◆ 伊坂幸太郎『ラッシュライフ』(新潮社)    オムニバス小説。    読み進めるうちに、それぞれ時間軸がずれていることに気付いた。    異なる境遇にある主役同士が微妙に交錯していく様は興奮もの。    どんどん引き込まれていった。    会話のセンスも相変わらずクール。   ◆ 乙一『失はれる物語』(角川書店)    乙一ベストセレクション。    「手を握る泥棒の物語」「しあわせは子猫のかたち」は心が温まり、    なおかつワクワクする話で、とても楽しかった。    黒乙一もなかなか面白いと思うが、私は白乙一の方が好きかな。   ◆ 伊坂幸太郎『死神の精度』(文藝春秋)    死神にまつわる短編集。    死神のキャラクターがとてもいい。    いかにも伊坂幸太郎らしい。    読み進めるうちに面白さが加速する点は健在だった。    作風が確立されているので、安心して読むことができる。   ◆ 奥田英朗『ララピポ』(幻冬舎)    オムニバス小説。    一貫したテーマは「性」。    現実的な病的性質を抱えた人達が転落していく様子が詳細に書かれていた。    しかし、皆が最終的には救いを得ていたというオチだったので、読後感は良かった。   ◆ 松本侑子『性遍歴』(幻冬舎)    女装,レズビアンなど、一般的とは絶対に言えない性癖にスポットを当てた短編集。    私は男なのでよく分からないが、微妙な女性心理を丁寧になぞっているのではなかろうか。    色んな意味で勉強になった。   ◆ 打海文三『ぼくが愛したゴウスト』(中央公論新社)    ひょんなことから並行世界に行ってしまった少年の物語。    何とか希望を持とうとしても、なかなか思うようにならない。    全編通して寂寥感が満ちている。    涙脆い人は登場人物の切ない終末に泣いてしまうかもしれない。    「○オチかよ!」と憤る人もいるだろう。   ◆ 恩田陸『Q&A』(幻冬舎)    ひたすらインタビューが続く、実験的ミステリー小説。    質問者と回答者は次々変わっていく。    事故の真相を解き明かすために始まったインタビューなのに、    進むにつれてキナ臭い展開になっていくのが面白かった。    結局、真相ははっきりしないままだが、    恩田陸作品にすっきりした結末を求めるのはお門違いなのだろう。   ◆ 恩田陸『六番目の小夜子』(新潮社)    小夜子のミステリアスさが登場人物の主観によって作られたものだったというのは意外性があった。    部室が燃えて混乱する小夜子の様子はとても可愛らしかった。    ホラー小説ということになっているが、これは99%青春小説だろう。    謎を残したまま終了してしまうので、きっちりした結末を求める人にはオススメできない。   ◆ 東野圭吾『黒笑小説』(集英社)    超短編小説。    一話一話が非常に短く、収録話数が多いので、お得感がある。    ブラックユーモア溢れる話が勢揃いしているが、作家賞の舞台裏を描いた話が一番面白く感じた。    しかし、作家がこういうのを書くのはタブーじゃないのだろうか。    現実とは違うのかもしれないが、私には嘘を嘘と見抜けない。    ま、小説は釣られた者勝ちだし、どっちでもいいか。   ◆ 奥田英朗『最悪』(講談社)    3人のオムニバス。    最終的にストーリーがつながる。    こういう仕組みは大好きだ。    どの主人公も現状を打開してより良い未来を掴もうとするが、    周囲が足を引っ張って徐々に追い詰められていく。    共にドン底を体験し、その後は少し持ち直すが、依然として幸せとは断言できない。    ドン底があったからマシに思うだけだ。    けれど、彼らは次に似たような壁にぶつかっても、きっと乗り越えられるだろう。    最悪を知れば人間は図太くなれる、ということを著者は言いたかったのだと思う。   ◆ 宮部みゆき『ドリームバスター3』(徳間書店)    カウボーイ的世界観をイメージさせるファンタジー小説の第三巻。    登場人物の人間臭い言動がニヤリとさせてくれる。    前作、前々作のことはほとんど忘れていたが、覚えていなくても大丈夫だった。    『4』も発売されている。    はてさて、図書館でタダ読みできるチャンスは訪れるかどうか・・・。   ◆ 恩田陸『ユージニア』(角川書店)    『Q&A』そっくりの形式だった。    ただし、こちらは聞き手の台詞が省略されているので、一人語りに近い。    回答者が殺される点も同じ。    犯人は序盤から示唆されているのだが、動機は結局分からず仕舞いだった。    恩田陸作品は最後にモヤモヤ感が残るな・・・。   ◆ 舞城王太郎『阿修羅ガール』(新潮社)    恐ろしい事件が淡々と消化される日常に生きる少女が、    あの世に行ったり、悪夢を見たり、殺人鬼の頭の中に入ったりする物語。    超カオス。    後半の展開はかなり強引だった。    広げた風呂敷をどう畳むのか興味深かったので、やや拍子抜け。    アクの強い登場人物に負けず劣らず破天荒なストーリーだった。   ◆ 松浦理英子『親指Pの修業時代 上』(河出書房新社)    女子大生がある日目覚めると右足の親指がペニスになっていた・・・というトンデモ設定。    男根解放だの何だのといった、著者が裏に込めたメッセージはさておき、    小説としては最上級と言ってもいいだろう。    価値観&性格の異なる登場人物を見事に描き分けている。    語り口もスムーズでユーモアがあり、展開も飽きさせない。   ◆ 松浦理英子『親指Pの修業時代 下』(河出書房新社)    ある登場人物のDQNっぷりに読む意欲が些か失せたが、気合で最後まで読み切った。    彼氏とのすれ違いからレズビアンに目覚めた主人公だが、結局は元鞘に納まる。    予定調和的ハッピーエンドはこれまでの容赦無い展開を考えると張り合いが抜けたが、    まあ後味が悪いよりもずっといいだろう。    あとがきからは、女流作家らしい意地悪さ&気難しさが感じ取れた。    こういう人間だからこそ、こういう文章が書けたということか。   ◆ 恩田陸『禁じられた楽園』(徳間書店)    恩田陸のミステリーは、終盤直前まではジワジワくるが、伏線の回収やオチが淡白過ぎる。    超常現象オチには失望した。    「あ行中心に攻める」という目標のもとに借りてきたが、そろそろ借りるの止めようかな・・・。   ◆ 岩井志麻子『ぼっけえ、きょうてえ』(角川書店)    古い因習が残る昔の日本の田舎を舞台にした短編ホラー小説。    生臭い怖さではなく妖しい怖さが光る。    方言が多用されているのにまるで読みづらくない。    これは作家の力量によるものだろう。    新聞の書評で「近年のホラー小説の中では最高傑作」と称えられていたが、    まんざら誇張でもないだろう。   ◆ 我孫子武丸『たけまる文庫 怪の巻』(集英社)    ホラー短編集だが、それほど怖さは感じなかった。    癖が無くて非常に読みやすいが著者ならではの味はしっかり出ているようだ。    初めて読んだが、なかなかの書き手と見た。    あとがきから窺えるユーモラスなキャラクターも気に入った。   ◆ 上甲宣之『そのケータイはXX(エクスクロス)で』(宝島社)    勢いがとてつもない。    読み手に考える余裕を与えさせない。    アクション描写はライトノベルのようで、『ジョジョ』好きには手放しでオススメできる。    ホラー要素を含んだミステリー小説のはずなのに、ギャグ漫画を読んでいるような錯覚に陥る。    余韻も味わえないし、言葉の選択も安っぽい。    本格小説からは程遠い。   ◆ 伊坂幸太郎『チルドレン』(講談社)    伊坂幸太郎作品には「思わせぶりな台詞を吐くスカしたにーちゃん」が必ず一人は出てくるが、    彼らを引き立てているのは「冷静かつ常識的な思考を持ち合わせた脇役」であることが、    読破4冊目にしてようやく分かった。    超人的奇人の飄々とした立ち居振る舞いと、それに振り回される常識人の組み合わせ。    これこそ、伊坂幸太郎らしい面白さを演出するのに欠かせない要素なのだ!   ◆ 恩田陸『ドミノ』(角川書店)    パニック・コメディ小説。    御都合主義な展開の連続、期待を裏切らない各キャラクターの動きが小気味好い。    200キロ超で走行する8000ccのバイクって、どんなんやねん。    紆余曲折を経てハッピーエンドに近付くから、読後感も爽やかだった。    過去に読んだ作品の中では、一番単純明快で楽しかった。   ◆ 伊坂幸太郎『グラスホッパー』(角川書店)    殺し屋や自殺屋が暗躍する裏社会が舞台。    立場の異なる3人の男が主役で、最後に残るのは一人だけ。    殺人シーンの描写がかなり秀逸。    完全なるハッピーエンドで終わらない所が作風とマッチしていると思う。   ◆ 山田詠美『姫君』(文藝春秋)    男と女の愛憎を主題とした短編小説集。    恋愛とは、削り合うことである。    それを繰り返すことで、お互いに無くてはならない存在へと昇格する。    決して無傷ではいられないのに、近付かずにはいられない。    山田詠美が描く恋愛模様には、ほんの少しの羨望と、たくさんの落胆を感じた。    私には恋愛欲がほとんど無いし、友情を広げることにもあまり興味が無い。    関係を作り、深めることは、とても煩わしいことだと思う。    それなのに他人の人間関係を見ていると、ふと寂しさを感じることがある。    求めずにはいられないのが、人間なのかもしれない。   ◆ きむらゆういち『あらしのよるに T』(講談社)    オオカミとヤギの友情物語。    絵本『あらしのよるに』シリーズを再編集して文庫化したもの。    『あらしのよるに』『あるはれたひに』『くものきれまに』を収録。    第1話:真っ暗な山小屋での出会い。        正体がバレそうでバレない。    第2話:翌日、再会。        食欲に揺り動かされるオオカミと疑心暗鬼になるヤギ。        友情が種族を越えた。    第3話:ヤギの友達に密会がバレそうになる。    ・・・むう、感想が書けん。   ◆ きむらゆういち『あらしのよるに U』(講談社)    オオカミとヤギの友情物語。    絵本『あらしのよるに』シリーズを再編集して文庫化したもの。    『きりのなかで』『どしゃぶりのひに』を収録。    第4話:ボス格のオオカミにヤギが狩られそうになる。    第5話:遂に二匹で仲良く歩いている現場を目撃されてしまう。        オオカミもヤギも群れの仲間から責められる。        激しい雨に紛れ、二匹は逃亡することを決意する。    ・・・おお、面白くなってきたな!   ◆ 宮部みゆき『理由』(朝日新聞社)    「小説の醍醐味は?」と尋ねられたら、私は「登場人物の深い心理描写」と答えるだろう。    誰もがそうであるように、私にも一切関係を持ちたくないと思うタイプの人間は数多くいて、    そう思っていると、実際に出会う機会は少なくなるものだ。    「人間関係は災厄の素因である」と自覚していようがしていまいが、    自分とはズれた世界の住民と親しくなろうとする者は物好きと言えよう。    小説は、そんな人間の心と向き合う場を提供し、場合によっては共感という奇跡を生む。    本書には、年齢も性別も境遇もまるで違う人間が数多く描かれている。    まさに小説らしさを備えた小説である。   ◆ 萩原浩『押入れのちよ』(新潮社)    短編小説集。    借りたきっかけは、新聞か何かの書評。    「ちよ萌え〜」みたいなことが書かれていたのが印象に残っていた。    ダークな設定が多いけれど、重苦しさは感じない。    短編小説の命であるリズム感が確かに息づいている。    いずれもスッキリまとまっていて、すんなり読み終えてしまった。    表題作『押入れのちよ』は続編を読んでみたい。   ◆ 姫野カオルコ『ツ、イ、ラ、ク』(角川書店)    タイトルと表紙から、昼ドラのようなドロドロの愛憎小説を連想したのだが、    実際は紙面の70%以上を登場人物の小中学生時代に充てた青春小説だった。    無邪気に見えて計算高く、無垢に見えて色欲に狂い、    他者の批判を寄せ付けないまま潔癖な思想を信じ、心変わりの激しさと執着心を併せ持つ。    そんな少年少女の薄っすら汚れた真実の姿が、克明かつ軽やかに記述されている。    恐らく読者の多くが期待したであろう、    中学校男性教師と教え子の禁断の関係も、当然の如くバッチリ描かれている。    時々顔を出す予定調和的な展開の数々が自然と笑いを誘う。    特に関西圏出身の30代は、懐かしさを感じながら楽しく読めると思う。   ◆ 原倫太郎『匂いをかがれるかぐや姫』(マガジンハウス)    日本の昔話をコンピュータの翻訳ソフトで英語に翻訳し、    その英文をさらに翻訳ソフトにかけて日本語に再翻訳して創り出した物語。    『少量法律助言者』『匂いをかがれるとすぐに、プリンセス』『桃タロイモ』の3篇を収録。    意味不明過ぎる文章と、カオスとしか表現できない挿絵が織り成すアクの強いハーモニーは、    「素直に笑い飛ばしていいのか」と自問させるほどの酷さを誇る。    「無遠慮な少年です。あなたの幾分摂食。」    オバケはベビーベッド、少量法律助言者をピックアップして、飲み込みました。    しかし、少量法律助言者は、    ピンの剣がオバケの胃に差し込まれている間に激しく分泌液を流します。    「ハーイ放射し、放射してください!」    オバケは子を産むことができません。    「私はつらく、私はつらく、これは日本の五十音ボールだ。」    少量法律助言者が吐き出されたときに、オバケはフルスピードで漏れました。    こんなのが延々と続く。    センス次第では、全然面白く感じないだろう。   ◆ 絲山秋子『袋小路の男』(講談社)    中編小説集。    表題作『袋小路の男』と『小田切孝の言い分』は連作で、    恋人未満家族以上という微妙な関係にある男女の恋模様が描かれている。    事件らしい事件もちゃんと起こるのに、まるで何も無かったように淡々と過ぎ去っていく。    そこには、ありふれた小説とは異質の時間が流れていて、    読者は放置プレイを喰らっているような感覚に襲われてしまう。    ある意味、小説の凄みを実感させられる作品と言えよう。    『アーリオ オーリオ』は中学3年の姪とデートしてペンフレンドになる話。    個人的には、こちらの方が好み。    しかし、オチが物足りない。   ◆ 姫野カオルコ『受難』(文藝春秋)    ヒロインの股間に人面瘡が現れた!・・・というトンデモ設定が、素直に面白い。    「女として価値が無い」等々、ひたすら罵る人面瘡と、    達観の域に入りかけている異常に謙虚なヒロインの遣り取りが軽妙。    ただし、特に序盤は、ソフトSMに耐性が無い人はイライラするかもしれない。    また、下ネタに抵抗を感じる人にも向いていないと思う。    私はこういうの大好き。    「しぼむバイブ」「ロココ調のおまんこ」には爆笑させてもらった。   ◆ 角田光代『キッドナップ・ツアー』(理論社)    別居中のダメ親父に誘拐されて連れ回される娘の話。    小説執筆に挑戦しているので、女子小学生の視点で書くことの難しさは痛感している。    大人と比較すると、女子小学生は表現力が乏しく、現状認識能力も劣る。    それゆえ、行動につながる思考経路や感情が移り変わる過程を示すことは大変難しい。    この難問にどう立ち向かうかが著者の腕の見せ所なのだが、    角田光代の筆力は相応のレベルにあるとは思えなかった。    ストーリー展開も納得いかない。    行き当たりばったりでいい加減な父親を好きになれないから、    自然、娘の「好きか嫌いか分からない→大好き」という変化も、全く共感できなかった。    結局、最後まで母との取引内容が明かされなかった点も大いに不満を感じた。    児童文学とは、こういうものなのだろうか?   ◆ ジャック・リッチー『クライム・マシン』(晶文社)    「情景描写なんて飾りです。長編作家にはそれが分からんのですよ」    本書は、文章を削ぎ落とすことに情熱を燃やした短編ミステリー職人の集大成である。    没後20年以上経っても人気が衰えず、こうして邦訳が出版されたこと、    これの後に他の著者の小説を読むと、やたら回りくどく感じてしまうことは、驚嘆に値する。    大方の外国文学は登場人物に感情移入しづらいため読みにくさを感じるのだが、    これは古典的なアメリカンテイストであるにもかかわらず、    情報が最小限に抑えられているため、煩わしさを感じる暇も無く、    ミステリーそのものに没頭することができた。   ◆ 伊坂幸太郎『アヒルと鴨のコインロッカー』(東京創元社)    2年前と現在の話が並行して語られ、次第に全貌が明らかにされていく。    100ページあたりまでは予測通りの展開だったが、    中盤を過ぎた頃から疑問が芽生え始め、終盤のタネ明かしで驚かされた。    この小説は映画化されているが、アレは映像化したらバレバレだし、    アレが無いと面白さが半減してしまう。    一体全体、どのように構成されているのか、気になるところだ。    デッドエンドの連続なので、ミステリーを無視した御涙頂戴物語になっているのかな?   ◆ 荻原浩『さよならバースディ』(集英社)    プロポーズした数時間後に彼女が謎の死を遂げた。    目撃者は人語を解する天才チンパンジー、バースディのみ。    主人公はバースディとのコミュニケーションを通じて、真実を明らかにしていく・・・という筋書き。    やや前置きが長い気もしたが、主人公が焦燥感と衝撃に打ちのめされていく描写は見事だった。    ライターや警察官に対する当初の猜疑的な人物評によって、    主人公の世界の狭さを示唆した点も、筆者の力量を感じさせた。    大学職員の辛辣な裏設定は、院生である自分にとって、他人事とは思えなかった。    ラストに下した悲愴な決意も踏まえ、主人公がとにかく哀れ。    お世辞にも読後感は良くなかった。   ◆ 姫野カオルコ『終業式』(角川書店)    全編、手紙やFAXやメモなどで構成された実験的小説。    昭和50年から平成7年に亘る登場人物達の半生を、恋愛という観点から辿っている。    私は昭和57年生まれなので実感できなかったが、    そこかしこに時代を反映した用語や表現がさり気無く登場しているので、    自分の青春時代が時代設定と合致している人は、面白さが数倍増しになると思われる。    付き合っては別れ、付き合っては別れの繰り返しは、    両想いになったことが一度も無い私には、とても不思議な感じがする。    書簡の往復で友好を深めていくというのも、ピンと来ない。    あとがきで、著者は「青年期は色恋沙汰と無縁だった」と告白している。    とりわけ高校生大学生の恋愛描写は、著者の幻想が含まれているのではないだろうか?    私の生活とは、あまりにもかけ離れている・・・。   ◆ 荻原浩『オロロ畑でつかまえて』(集英社)    倒産寸前の広告代理店とド田舎の青年会が協力して村おこしをする話。    ユーモア小説の触れ込み通り、ユルユルと気楽に読める所が良い。    実に馬鹿らしい計画がトントン拍子で進んでいくが、    そのままエピローグに直行せず、最後の最後で暗礁に乗り上げ、    そこから持ち直してハッピーエンドに収まるという明確な起承転結が、    小説の基本を忠実に体現している感じがして、好ましい。    正直言って、展開(特にオチ)は出来過ぎでツッコミ所満載なのだが、    これはまさしく「突っ込んだら負け」の小説だと思う。    ★☆★ 小説以外 ★☆★   ◆ 養老孟司『真っ赤なウソ』(?)    宗教(特に仏教)大好き、養老孟司。    いかにも悟った風の語り口と、    そんなんどうでもええやんかと思うところにツッコミを入れるうるささに辟易。    おじいちゃんの戯言レベルにとどまっていないから、余計に性質が悪い。    終盤は読み流した。    リアルで付き合いたくないタイプだ。   ◆ 本田透『萌える男』(筑摩書房)    本田透作品は『電波男』に次いで2冊目。    内容は『電波男』を補うもので、二番煎じ感は否めなかった。    本田透は『恋愛資本主義』という概念を発表したことで有名だが、    どちらか一方を読めば、主張したいことは十分に理解できると思う。    同じことをしつこく繰り返していたのはページ稼ぎを邪推させた。    同じ書籍から何度も何度も引用していたのは、    論評にしては裏付け捜査が不十分だったということだろう。    非難されている側の人間が反論する大変さは凄く伝わってきた。    私も頑張ろう。   ◆ 谷田和一郎『立花隆先生、かなりヘンですよ』(洋泉社)    立花隆批判本。    とりわけサイエンス部門において奇妙な発言が目立つらしい。    私はいわゆる知識人に対して良い感情を持っていないが、    学部1年の時に受講したゼミで立花隆の著作を教科書として利用したことがある。    言い方はおかしいが、まるで心が洗われるような気持ちになった。   ◆ 杉村太郎『絶対内定 2008−2 エントリーシート』(ダイヤモンド社)    同じ研究室の就活生も読んでいた、エントリーシート指南書。    とてもタメになった。    F社のエントリーシートは、これを参考にして書いた。    内容はともかく、文章構成に関しては上達したと思う・・・まあ、F社は落選したけど。   ◆ 玄田有史 曲沼美恵『ニート』(幻冬舎)    就職活動中の私にはとても刺激的で、気を引き締めるのに役立った。    なんとしても正社員の座をゲットしたい。    ニート防止策のひとつとして、職場実習の義務教育化に着目していた。    兵庫県の中学校で一週間の職場実習「トライやるウィーク」が採用されているのは    もちろん知っていたが、実施率が100%だったことには驚いた。    全国に広まればいいのに。   ◆ 中谷彰宏『就活時代しなければならない50のこと』(ダイヤモンド社)    全然知らなかったが、その手の業界では結構有名らしい。    自分の過去の体験を基に、格言をあれこれ書いていた。    ただ、筆者の時代は現代とはかなり違っているし、筆者は完全なる文系なので、    そのまま自分に当てはめて考えることはできなかった。    流し読みにとどめた。   ◆ 矢幡洋『Dr.キリコの贈り物』(河出書房新社)    自殺サイトを通じて青酸カリ入りのカプセルを販売していた男の物語。    男の目的は自殺の片棒を担ぐことではなく、    いつでも死ねる状況に置かれた購入者が崖っぷで踏み止まることだった。    メールの遣り取りがとってもリアル。    恋愛的要素も含まれているし、こう言っては不謹慎だが、ドラマにしたら良さそうだと思った。    自殺志願者同士は苦しみを共有することで心の安定を保つという話が出たが、    これはチャット会に参加するロリコンにも、そのまんま適用することができるだろう。   ◆ 樋口裕一『バカを使いこなす聞き方・話し方』(幻冬舎)    著者は『頭がいい人、悪い人の話し方』が大ヒットした樋口裕一。    こちらは性愚説に基づくHow to本。    バカをパターン分けして、それぞれの対処法を明示している。    相手をバカと前提して注意深く接すれば、齟齬の発生を抑えることができる。    あんまりな言い草だが、考え方は間違いとは言えないと思う。    練習問題も豊富。   ◆ 金井寿宏『働くみんなのモティベーション論』(NTT出版)    途中放棄。    自分なりの持論を確立しておくことの重要性を説いた本。    様々な文献に基づいて書かれた本格的な論文的実用書で、エクササイズ問題が各所に設置されている。    筆記用具を用意して、少しずつ読み進めていくべきである。    たった2週間程度では身に付かないだろう。   ◆ 中川昌彦『みんなの意見を上手にまとめる本』(実務教育出版)    途中放棄。    「議論が本質的にまとめにくい4つのケース」をサイトで紹介するために借りた。    ワントピックを見開き2ページにまとめているため、とても読みやすい。    ポイントを箇条書きやフローチャートでまとめているが、簡潔には程遠い。    一読するだけでは、ほとんど頭に残らなかった。   ◆ 三浦耕吉郎ほか『構造的差別のソシオグラフィ』(世界思想社)    ほぼ読了。    『セックスボランティア』に関連する記述があったから借りたのだが、    予想に反して面白いテーマが目白押しだった。    普通に過ごしているつもりでも差別していることになってしまう構造的な差別は確かにあると思うが、    それを組み替えたとしても、感情的妥協が無ければ、つまるところ差別は存続するのではなかろうか。    無意識の差別を改善するのはほとんど不可能だと私は思う。   ◆ 高橋一郎『ブルマーの社会史』(青弓社)    途中放棄。    ひたすらブルマーの歴史を語る。    それ以上でも以下でもない。    ブルマーを穿いた小学生中学生女子の感想コメントの列挙には、少なからず興奮してしまった。   ◆ 白石昌則『生協の白石さん』(講談社)    数年前、ネット上で有名人になった生協の白石さん。    これは彼が担当した一言カードを厳選して紹介した本である。    1時間もかからず、あっさり読めてしまった。    小ネタとしては面白いが、爆笑するほどではない。    お金を払ってまで読む価値があるとは思えない。    カードの質問と回答よりも、    知らず知らずのうちに人気者になってしまった人間の手記が興味深かった。   ◆ 金子雅臣『壊れる男たち』(岩波書店)    セクハラ問題を相談現場で接した当事者の声を参考して論じたノンフィクション。    立場を忘れて仕事とプライベートを混同してしまった男たちの情けない言動に、    同性ではあるが失笑してしまった。    「自分の中に欲望が潜んでいることを認めることがスタートライン」    という主張には首肯することしきり。    そう、自分を知ることが自制の第一歩なのだ。    これは私がサイト上で訴えていることと同じである。   ◆ 小笠原喜康『議論のウソ』(講談社)    少年非行,ゲーム脳,携帯電波,ゆとり教育を例に挙げて、    世に存在する言説がいかに適当であるかを論じ、それらがウソであると見抜くコツを提示し、    さらには議論に臨む際の心構えを説いていた。    「ある議論の正当化を期待して情報を集めようとするのが人の性分であるから、    自分への反省的な視点を持つことが批判能力を養うために最も重要である」    という考えは、特に目からウロコだった。    読みやすさに配慮した良書だと思う。   ◆ 飯田泰之『ダメな議論』(筑摩書房)    ダメ議論をパターン化して除外する手法を説明していた。    著者が経済専門ゆえに事例も経済関連に偏っていたため、馴染みの薄い私には少々読みづらかった。    根底にある主張は『議論のウソ』と大差無い。    占い師やテレビに出演しているコメンテーターなどの話術解析が皮肉に満ちていて、    清々しいと感じるほどだった。   ◆ 杉浦由美子『腐女子化する世界』(中央公論新社)    腐女子どころか、そもそも女性と縁遠い生活を送っているので、    書かれている内容を額面通り受け入れることはできないが、納得できる点はかなりあった。    女性に「気に入った著者をひたすら追いかける」という傾向が本当にあるのかは判然としないが、    男は確かにクオリティ次第で買い控えることもあるから、金銭に対してシビアと言えるかもしれない。    そう考えると「腐女子はオタクよりも消費活動に積極的」というのも頷ける。    「BLは自分不在の妄想」だそうだ。    私も第三者的な立ち位置から作品を眺めることが多いけれど、男女じゃないと落ち着かない。    百合好きの人はBLファンと根本的に同類と言えるのかもしれない。    「『仕事=生活のため』で『仕事=自己実現』ではない」という意見には、とても共感できた。    それにしても、著者はよほど中村うさぎが好きらしい。    何度も何度も彼女の言葉が引用されていた。    研究者が少ないのかな?   ◆ 岡部敬史『ブログ進化論』(講談社)    ブログに偏見を持っている人、あえて距離を置いている人に、    ブログの素晴らしさと可能性を説いた本。    特に前半は「何をいまさら」と思うことしきりで、目新しい主張は皆無だったが、    ピックアップされたブログはほとんど知らない所ばかりだったので、    興味を持って読み進めることができた。    「ブログ運営者は自己顕示欲が人並み外れて高いわけではない」という主張を正当化するために、    ランキングサイトを暗に批判している点は納得できなかった。    ブロガーは自己顕示欲強いよ。    だから続けられるわけだし、今なお1億2千万人弱の日本人が利用を見合わせているんだって。    炎上に関する記述が少なかったのも不満だった。    閉鎖に追い込まれ炎上の記録が残されるだけでは済まず、    多くの場合、社会的地位が脅かされることになる。    いくらブログを勧める本であっても、リスクを正確に語らないのはアンフェアではなかろうか?   ◆ 『考える トップランナー格言集』(ぴあ)    NHK番組『トップランナー』に出演した著名人の格言をまとめた本。    とりわけ印象に残った言葉を、各章から一つずつ選んでみた。    「作る人ってすごいんですよ。言うだけなら誰でもできるんです」    ――飯野賢治(ゲームクリエーター)    「自分は全力を尽くしたんだから売れても売れなくてもいいよ、    っていう言い方だけは絶対にしたくない」    ――福井晴敏(小説家)    「やりたいことがブレなかった、というのがよかったと思うんです」    ――丸山敬太(デザイナー)    「自分の好きなところでも、他人が読んだらわかりにくかったり、    つまんなかったりすることっていっぱいある」    ――よしもとばなな(作家)    「作り上げることができなくてもいいから、何が覚えるために、実際に作って欲しい」    ――飯野賢治(ゲームクリエーター)   ◆ 河合香織『セックスボランティア』(新潮社)    障害者に対する性的介助のルポ。    著者の主観的感情がかなり反映されている点は賛否両論ありそう。    性の介助をネットで募集しても、して欲しいという人も、してもいいという人も、    男性が圧倒的多数を占めるそうだ。    女性は「セックス」と「ボランティア」と「恋愛感情」を混同してしまい、    苦悩する傾向があるらしい。    外国に倣い、一部自己負担させる有償ボランティア等の形式がベターだと私は思う。    しかし、日本も海外も、広告不足はあると思うが、利用者はとても少ないのだから、    仕組みを考案しても上手に機能するとも思えない。    難しい問題だ。   ◆ 山野車輪『マンガ嫌韓流』(晋遊舎)   ◆ 太田修ほか『『マンガ嫌韓流』のここがデタラメ まじめな反論』(コモンズ)    議論を公平に判断するために、相対する2冊を借りた。    嫌韓は韓流のアンチテーゼではなく反日のアンチテーゼとして用意された理論である。    国を挙げて反日教育を推進した韓国は確かにウザい。    しかし、ウザいからといって無視するわけにはいかない。    両国が友好関係を築くためには、韓国の負の部分も知らなければならない。    『嫌韓流』執筆の意図はそんなところだろう。    『デタラメ』は正当に反論している風に見える部分も多いが、    都合の悪い部分は華麗にスルーしたり、論点をすり替えたりしている部分も目立った。    特に「第1話 サッカーワールドカップ」「第5話 反日マスコミ」    「第9話 竹島問題」はひどいと感じた。    しかし、漫画ゆえの情報量の少なさを考慮しても、『嫌韓流』の説明不足も否めない。    どちらも完成度は五十歩百歩で、鵜呑みにできないという点では共通していた。   ◆ 井上薫『司法のしゃべりすぎ』(新潮社)    ほぼ読了。    判決には理由を付することが法律で定められており、    そこには判決を導く内容以外の記述は認められていない。    それなのに、司法の現場では理由欄の蛇足が慣行となっている。    本書はその問題点(泣き寝入りするしかない被告,裁判の長期化,裁判費用の増大など)を、    具体例を挙げながら分かりやすく説明している。    言いたいことはとても納得できるが・・・くどい、くどすぎる!    その気になれば半分の分量で同等のクオリティを確保できるのではないか?    ページ稼ぎとしか思えない構成にウンザリした。   ◆ 中原昌也ほか『嫌オタク流』(太田出版)    別ページに詳細レビューあり。    最近何かと注目を集めているオタクをバッサリ切り捨てた鼎談集。    『マンガ嫌韓流』を意識しているらしいので、    わざとやっているのかもしれないが、悪態としか言いようが無い記述も散見された。    とりわけ中原昌也(敬称略)の発言は、笑えるほど感情的で悪意に満ちていた。    恐らく、本書の娯楽性を高めるためにピエロ役を演じていたのだろう。    実際にこのような人間を相手にすると疲れ果ててしまうと思うが、    対岸の火事のようなスタンスで見る分には、かなり楽しめると思う。   ◆ ヤコブ・ビリング『児童性愛者』(解放出版社)    別ページに詳細レビューあり。    デンマークにある合法の結社「児童性愛愛好者協会」を潜入取材したジャーナリスト、    ヤコブ・ビリングによって、小説風に仕立てられた手記。    本性を偽ってペドファイル達と接触するうちに、    次々と事実が明らかにされていくスリリングな展開は「面白い!」の一言に尽きる。    しかし、そこに書かれていた内容は「面白い!」の一言で済ませられるものではなかった。    過去に被害を受けた少女の絶望的な叫びには、とりわけ心を揺さぶられ、    貧困という弱みに付け込んで売春することの醜さを、改めて考えさせられた。    もちろん少女に性的な感情を抱く人間全てが、このような行為に及ぶわけではないのだが、    ペドファイル達の吐露には共感できる部分もいくつかあり、    根本的な所で、そう大きな違いはないのかもしれないと感じた。    読後も「性的嗜好そのものを卑下する必要は無い」という気持ちは変わらないが、    「性的欲求の発露を抑制するために自分を律するモラルが不可欠」との思いは一層強くなった。   ◆ 飯野謙次『「失敗をゼロにする」のウソ』(ソフトバンククリエイティブ)    どれだけ配慮しても人は失敗をやらかし、その事実をなるべく隠そうとする。    日本社会に根付いている信頼を前提としたシステムは、欠陥を含んでいると言わざるを得ない。    失敗を減らすための有益な方法は、具体的な失敗事例から学ぶことである。    そのためには責任追及よりも原因究明を優先してデータベース化し、    それをゲーム化するなどして楽しく学べる環境を準備することが肝要である。    そうすることで失敗を誘発する仕組みを改めることができるし、    個人レベルで失敗知識を共有することもできる。    ただし、安易な効率化は甚大な失敗を招く場合があるので、    導入前に効果の程を十分に検証しなければならない。    ・・・もっともなことだと思う。   ◆ 新潮社事件取材班『黒のトリビア』(新潮社)    警察や刑罰などに関するトリビアを合計111個も紹介している。    特に印象的だったものを選んでみた。    「日本には三年間で百人、レイプした男がいる」    最近(2000年)の出来事なのに、ほとんど記憶していないな〜。    「パーカーといえば万年筆だが、警察でパーカーといえば、「包茎」のことを指す」    そもそも『パーカー=万年筆』が初耳だった私はゆとり?    警察には必要以上にこの手の隠語があるらしい。    下ネタ大好き警察官、さすが男性社会。    「死体を運んだ警察官には、一体につき千二百円の手当てが出る」(※東京都の場合)    腐乱死体だとほぼ倍額の二千四百二十円。    私なら断固拒否する対価だ。    「水中に捨てた死体が、浮いてくるのを避けるには、体重相応分の重しが必要」    腐敗ガス発生による浮力増大が原因。    死体隠滅の成功率を上げるには、バラバラにするのが一番ってことか?    「裏ビデオを売ったら二年以下の懲役だが、買うぶんには何の罪にもならない」    「友人を呼んで裏ビデオ鑑賞会を開いたら、たとえ無料で楽しんでもらっても罪となる」    販売はアウトだが購入はセーフ。    有料の貸し出し(業としての貸与)はアウトだが友人知人間での無料の貸し借りはセーフ。    場所の提供は公然陳列に該当するのでアウトだが個人的使用はセーフ。    児童ポルノも同様。   ◆ 中里見博『ポルノグラフィと性暴力』(明石書店)    別ページに詳細レビューあり。    ポルノグラフィが現に性暴力被害を生んでいる事実を明らかにした上で、    新たなる法規制制定の必要性を説いている。    本書を男性が執筆したことに素直な驚きを禁じ得ない。    著者は『正義感に溢れた偉大なるマゾヒスト』だと思う。    日本学術振興会基盤研究の成果報告書すなわち専門書ゆえに難解を極める。    幾度も読み返した私自身、主張を正しく理解しているとは到底言えない。    読書に熟達した人でも読破には相当な時間を要すると思われる。    しかし内容はとても充実していると断言できる。    詳細レビューで関心を持った人は、実際に読んで欲しいと思う。   ◆ 樋口裕一『差がつく読書』(角川書店)    かつて1日1冊以上、年間365冊以上の本を読んでいた著者が語る読書法。    読書をその質に応じて定義し、それぞれ頭を切り替えて読書することが重要と説く。     実読:何か行動に結びつけるために、情報や知識を得ようとして行う読書。     楽読:何かに役立てたいと思うのではなく、ただ楽しみのためだけに読む読書。     精読:著者の意図を正確に読もうとする読書。     多読:著者の意図を正確に読もうとせず、自分なりに考えながら読む読書。     全読:本の全てを隈なく読む読書。    部分読:本の一部分だけを読む読書。        アリバイつくり読み,独立読み,裏づけ読み,飛ばし読み,斜め読みの5つに分類される。    最も感銘を受けたのは「読書は悪徳」「読書の本質は教育と相容れない」という件だった。    私はどんなモノを読んでいるのか人に知られるのが嫌で、    図書館で本を借りるどころか図書館に足を運ぶことすらできず、    書店で漫画を買い求めることもできなかった。    当時の私の気持ちを初めて支持してもらえたように感じた。   ◆ 仲西敦『ヘンタイの理論と実践』(三才ブックス)    インタビュー取材を受けた際、仲西敦さん本人から頂戴した。    性に悩む青少年のための教科書。    解説している性癖は、二次元,乱交,コスプレ,SM,アナル,スカトロ,アイドル,    露出,獣姦,おっぱい,脚,熟女,ロリと幅広い。    特殊とされる性癖の持ち主は人間性を貶められがちだが、彼らは断じて身勝手ではない。    相手の意思を尊重する、他人を不快にさせないといった基本的なモラルを守るために、    独自のルールを作って楽しんでいる人がほとんどだ。    愛好者人口が増えれば逸脱者も出てくるが、それは極少数に過ぎない。    元来、性的嗜好と人格的欠陥に相関は無いのである。    愛好者達の思考を読み解いていけば、    性に対して、より広い心を持てるようになることは確実である。    本書のアドバイスを参考にして、新しい世界に踏み込んでみるのも面白いと思う。   ◆ 山口智司『アウトロー100の言葉』(彩図社)    100の名言と併せて、その人物に関するエピソードを紹介しているが、これがとても面白い。    偉人と奇人は紙一重であるということが実感された。    唯一つのことを人生の中心に据えて傾倒することで、はじめて輝かしい業績を残すことができるが、    私はそのような生き方を望まない。    研究室の後輩が「僕は責任を負いたくない、その代わりに権利も主張しない」と言っていたが、    私にはその気持ちがとても理解できる。    100の名言の中から、特に印象深かったものを3つ選んだ。    「おかしな商売だよ。やじられるばかりで、声援がない」    ――トム・ゴーマン(ベースボール審判員)    「僕はまだこれでも童貞を失っていないんだ。童貞を蹂躙された君とは違うんだ」    ――田山花袋(作家)    「愛とは、この女はほかの女とは違うという幻想である」    ――H・L・メンケン(批評家)   ◆ 福澤一吉『わかりあう対話10のルール』(筑摩書房)    著者は論証という枠組みによって対話を整理することで、対立点が明確になると指摘し、    さらに対立を解消するルールについても平易に解説している。    対話例が豊富に用意されているため、エクササイズ感覚で読み進めていける。    しかし、現実の対話において、このルールを即座に引っ張り出せるようになるまでには、    相当な修練を積まねばならないだろう。    仮にそれができるようになったとしても、対話者の側もルールを熟知していなければ、    結局のところ、生産性に富んだ対話に導くことは難しいのではないかと思う。   ◆ 亀田史郎『闘育論』(創美社)    本書は、強烈なキャラクターと言動が災いして、親バカから一転してバカ親に認定され、    ボクシング界から事実上の追放処分を受けた亀田史郎による子育て論である。    英才教育と児童虐待を見分けるのは、思いのほか難しい。    一流になるチャンスが与えられる代償として、他の選択肢が一方的に廃棄される。    親の熱意や期待が大きければ大きいほど、子供の将来が狭められることになりかねない。    読了後に湧き上がったのは、両親への感謝の気持ちだった。    個性的なエピソードおよび記述をいくつか選んでみた。    ・幼稚園児の息子に殴り方をレクチャーし、ガキ大将を呼び出させて喧嘩をけしかける。     相手が泣き出しても殴り続ける息子を止めずに傍観。    ・子供同士の喧嘩であっても積極的に介入。     息子の悪口を言われたら相手の家に乗り込んで親を恫喝。    ・明らかに自分達が悪い時にはオーバーアクションで謝る。     本音は「一応、謝っておけ」    ・子供が悪さを働いたら学校に行って謝罪。     簡単に許してもらえない場合は脅迫。    ・“俺と興毅との間には、実は人が聞いてもわからん符牒があるねん”     「押す」=「ボディ打つふりしてチン狙う」    ・空手道を軽視。     “空手なんかやったことない。そんなん、やってのうても教えられるわ”    ・学校の先生は“根性なし”    ・興毅は“ボクシングをしてへん”     “俺もボクシングのことは、ようわからん”    ・自分はこんな本を出版しているのに“親が教育評論家になって、どないすんねん”    余談だが、アマゾンのレビューがとても面白かった。   ◆ アンドレア・パロット『デートレイプってなに?』(大月書店)    知り合いからのレイプを防ぐ方法やレイプされた時の対処方法などが、    諭すような口調で語られている。    本書で挙げられていた事例から察するに、    アメリカでレイプが横行している最大の要因はパーティ文化にあるだろう。    アメリカでは高校生以上になると友人だけで集まってパーティを楽しむ習慣があるそうだ。    しかも、そこでは未成年でもアルコールを摂取することが珍しくないらしい。    このような異性交遊に寛大な文化が、知り合いによるレイプを常態化させ、    性犯罪事情を日本よりも遥かに深刻化していると考えられる。    ・1993年、全米の高校生1632人を対象にした調査で、     女子の85%、男子の76%が学校でセクハラを受けたと回答。    ・FBIの報告によると、アメリカでのレイプ通報件数は年間8万2千件。     日本の場合、2002年の強姦被害届け出件数は2357件で、     強制猥褻被害届け出件数は9225件(いずれも女子のみ)。    ・1989年および1991年に行われた、     ニューヨーク州の大学生延べ2000人を対象にした自己申告方式による性体験調査で、     男女ともほぼ20%がレイプ被害にあったと回答。     (オーラルセックスやアナルセックスによる被害は含まず)    ・1992年、ハリウッド映画の性暴力に関する調査によると、     アメリカでは、18歳までにテレビで目にする暴力シーンが平均25万回に及ぶ。    アメリカ、恐ろしい国!   ◆ やなせひさし『ネカマ日記』(宝島社)    出会い系サイト運営会社への潜入ルポ。    アルバイトでネカマを演じて、気付いたことや感じたことなどが率直に綴られている。    相手男性に返信させた回数で課金されるシステムとはいえ、    1時間で80通以上というノルマ設定には驚かされた。    どんなに迫ってもはぐらかされ、会う約束をしてもドタキャンの連続なのに、    それでも諦め切れずメールを送り続ける男性が、とことん哀れ。    出会いに飢えている男性は、ここまで判断力を失ってしまうものなのか・・・。    仕事場にいた美人女性の伊藤美咲さん(仮名)に注目し、素行を探る著者のキモさも見所だろう。