ガルピー 第2話
ガルピー 第2話
ついに運命の日がやってきた。
興奮と緊張でなかなか寝付けなかったため、まぶたはずしりと重く、
頭は幼稚なシミュレーションを繰り返すばかりだった。
それなのに、今の自分は妙に冴えている感じがした。
こういう状態になることを「ハイ」と言うのだろう。
お味噌汁の味も、家族と交わした会話も、よく覚えていない。
何日も前から用意していた「友達と約束してるから」という嘘を、
ちゃんと伝えることができたかどうかも、思い出せなかった。
会場が近付くにつれて、家での遣り取りが気にならなくなった。
ただひたすらに、脚を前へ前へと運んでいった。
面接会場は、路地裏にたたずむ真新しいワンルームマンションだった。
周囲は人の気配がまるでなく、居心地の悪い静けさが支配していた。
私は床を叩きつけるようにして歩を進め、部屋のチャイムを一帯に響かせた。
音が収束した頃、ガチャリと扉が開かれた。
「志望者ですか」
男の口調は穏やかだったが、やや事務的で無機質な感じがした。
私はこくりと頷き、後に続いて中へ踏み入った。
背中越しに、数人の女の子がこちらを窺っているのが見えた。
注目されるのは苦ではなく、どちらかというと好きなのだけれど、
彼女達の異様な輝きをたたえた眼差しに、私は身体がすくんでしまった。
鼻から流れ込む、臭いと香りが複雑に絡まった空気によって、脳髄が犯されそうな気がした。
パイプ椅子が整然と並んだだけの殺風景な空間には、異質な雰囲気が充満していた。
「作文を提出して下さい」
男はそっと私に命令した。
気圧されるな。
呑まれるな。
いつも通りにすればいい。
言い聞かせるように心の中で反芻しながら、手提げから用紙を取り出した。
「じゃあ、彼が作文を読んでいる間に、ルックス審査をやっちゃいましょうか」
奥に控えていた若い男が、こちらに来るよう手招きをした。
部屋にいる男はこの二人だけだった。
誘われるがままに歩み、ぐるりと男の側に向き直った。
女の子達の視線が背中に突き刺さる。
見世物にされているみたいで落ち着かなかった。
私は服の裾をつまんだり引っ張ったりしながら、引き締めた表情を男に見せつけた。
よほど慣れているのか、ほとんど睨んでいたにもかかわらず、男は全く怯まなかった。
「注意点は2つ。審査が終わるまで勝手に動かないこと。指示に従うこと。以上です」
男は真っ直ぐ私を見据えたままゆっくりと近付き、おもむろに髪を撫で始めた。
繊細な指使いで、ゆっくりと。
根元から先端に向けて、何度も何度も。
こそばゆさが全身に伝播し、遅れて内側から熱が込み上げてきた。
自分の身体の異変に、私はたじろぐばかりだった。
「僕の顔から目を逸らさないで」
そう言うと、男は強引に私の身体を引き寄せ、
鼻と鼻が触れ合うほど顔を接近させ、頭を貪るようにさすり始めた。
頭をヨシヨシされたことは数え切れないくらいにあったが、
それはこれまでに体験したことがない類のものだった。
先ほどの優しいタッチとはまるで違う、荒々しくてひどく情熱的なものだった。
お互いに、口許で広がる温かな吐息を味わい合った。
男の呼気で満たされた肺が包み込むと、心臓は紅潮して乱暴に喜びを表した。
『私・・・感じてる』
枝分かれした部分から汁が漏れているのに気付いた。
恥ずかしさのあまり瞳が潤み、世界がぼやけた。
もはや言いつけなんて覚えていなかった。
すぐにでも逃げ出したかった。
それなのに身体は思うように動いてくれなかった。
どうにか視線を泳がせることに成功したが、どうしても男の目を視界から消せなかった。
次第に朦朧としてきた。
耳が遠くなってきた。
時間の感覚が無くなってきた。
気持ちいいのかどうかも分からなくなってきた。
まともに考えられなくなってきた。
『なんかもう・・・どうでもいいや』
『どうでも・・・いいや』
『どうでも・・・いい・・・や』
『どう・・・でも・・・い・・・』
……パン!
突然、大音量が耳に響き、危うく横倒れしそうになった。
驚いて振り向くと、作文を読んでいたはずの男が、両手を構えて立っていた。
審査していたはずの男は、数歩下がった位置から私を眺めていた。
状況を把握するのにしばらく要した。
『私、立ったまま失神してたんだ・・・』
いつ間にか、多量の汗が噴き出していた。
とりわけ股間部は下着にべっとりと粘り付いていた。
身体は冷えてきたが、顔は相変わらず熱いままだった。
「ごめんね、ちょっとやり過ぎたみたいだ」
私は男を直視することができなかった。
「良く書けていました」
「ひとまずおめでとう。一次審査は合格ですよ」
男達の声はとても優しかった。
「次は二次審査になりますが・・・受ける覚悟はありますか」
私は首をどちらにも振れなかった。
ショックが大き過ぎて、考える余裕が持てなかった。
「さあ、その椅子に座って。まだ時間はあるから、休憩しながらじっくり考えてね」
私は言われるがまま椅子にもたれ、何度も深呼吸して心拍を整えた。
『二次審査ではもっと過激なことをするのかな・・・』
覚悟はしていた。
内容が予想を上回っていたわけではない。
自分の敏感な反応が想定外だったのだ。
おかげで僅かな自信をさらに失ってしまった。
『どうしよう、こんなんで上手くやっていけるのかな・・・』
弱気が産声を上げた。
私はすぐさまその首を絞めた。
『別にいいじゃない』
『自信は研修で培えばいいんだから』
『望むところよ』
『絶対に逃げるもんか』
『行ける所まで行ってみよう』……
順番を待つ30分余りの間に、私は前へ進む決意を固めた。